プロダクトとしての楽曲とは別の「生音」から感じられるもの...

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「手品の種明かしがそれ自体、また手品のようであって。
そして(優れた)歌のしくみというのは、たぶん作者が聞き手のために仕組んだものというよりは、歌を書く人が囚われてしまった(たぶん、宇宙の)しくみだというのが、おぼろげに見えてきたりする。」






先日、当店で行われたbonobosのフロントマンである「蔡忠浩」くんによるソロ弾き語りLive「ランタンナイトVol.17」を自分のお店で体験してから、シンプルだけど良質な「詞と音」を通して共有できる時間について考えていたりするmagkitchen店主です...。

(冒頭の言葉は、音楽雑誌「エリス」の編集長で音楽制作もやられている高橋健太郎さんのtwitterでのつぶやきの抜粋です。)


まずは、先月3/25に行われたLiveに関わって頂いたすべての方に、遅くなりましたがこの場をお借りし改めてお礼申し上げます。


私としては色々な意味で「良質な時間」というものの再定義ができた貴重なものとなりました。

久々にプロのアーティストとしての力量を持った「本物の音」に触れる事ができたことへの感動は
もちろんあるのですが、それ以上になにかアーティストから受ける別のソウルというか...感動みたいなものがありました。


あれからというもの(笑)すっかりbonobos蔡くんfanになってしまった店主ですが(←それまでも歌は何曲かしっていましたよ)ライブでのクレジット曲のCDを聞いたりして余韻に浸ってはいるのですが、なにかライブで受けた印象とはまた別の、プロダクトとしての完成された曲を聞いて、これはこれで素晴らしいなぁ〜と思う反面、あの時に受けた感動はやはりあの時でしか無いものなんだとも思ってしまう今日このごろです。



よく言われている「やっぱり生の音での演奏はいいよね〜」と言った感じの共有というものとは別の、こう普遍的な何かを、あの場にいる人とこの空間を通じ共有できる素晴らしさみたいな...どう表現したらいいんだろうなぁ〜なんて考えていたら、冒頭の高橋さんの「つぶやき」を見て「あ!これかも」と思った単純な店主(笑)


昔、少し音楽をかじっていた店主でも、アーティストがその自分で作り出した曲や詞を生で演奏し、それをじかに見れるLiveというものが、単純にそれだけで感動に値するものだいうことは、若いころからもすでに知っていたことなんですが、この前の蔡くんの弾き語りLiveには、彼のバックボーンも含めた音楽を自分なりに租借できた人間の持つオリジナリティーを、生でぶつけられて否応無しにその場にいる人を、すべて同じ時間へと共有された感じに、今思えばなっていたような気がしています。


つらつらと長くなってしまいましたが(苦笑)、本当に素晴らしいLiveでした。

彼のような「本物」がまた鶴岡に来てくれることを心から祈るばかりです。
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